Brand - NOMAD:KAY BOJESEN DENMARK

KAY BOJESEN DENMARK
(カイ・ボイスン デンマーク)

世界中で愛される木製モンキーの生みの親、カイ・ボイスン。 彼の死後、1991年に現ローゼンダール・デザイングループが木製商品の商業権を引き継いで復刻生産を開始、2010年には「カイ・ボイスン デンマーク」というブランド名に統一しました。 カイ・ボイスンの遺志を引き継ぎながら、商品化されていなかったものや隠れた名デザインを積極的に復刻しています。 アイコン的な存在のモンキーは、今や誰もが知る代表作。「丸みがあり、柔らかく手に持った時の心地良さを大切に」という彼のデザイン哲学のもと、今でもひとつひとつが手作業で丁寧に作られています。

PRODUCT

木製アニマルシリーズWOODEN ANIMALS

カイ・ボイスン 木製アニマルシリーズ

special contentsDear Monkey

デンマークの木製オブジェのブランドとして世界にその名を馳せているKAY BOJESEN DENMARK(カイ・ボイスン デンマーク)。 その生みの親であるKAY BOJESEN(カイ・ボイスン)が1951年に発表した「モンキー」はデンマークのデザイン史において大きなインパクトを与え、現在でも世界中でその人気を博しています。 しかし、象徴的なデザインが世の中で知られている反面、生みの親であるカイ・ボイスンの当時としてはユニークな人柄やカイ・ボイスン デンマークのブランドのことについては、まだまだ多くが語られていません。

2021年の「モンキー」誕生70周年を記念して、今までフォーカスされてこなかったカイ・ボイスン デンマークやカイ・ボイスンの魅力をブランド、 創業家、ディストリビューターそれぞれからDear Monkey ~ と手紙を書き始めるかのように、それぞれの視点からの関係性をまとめることによって、その魅力の輪郭を感じ取って頂ければと思います。 そしてあなたとの関係性が始まるきっかけになればとても嬉しいです。

カイボイスンってどんな人?

kay bojesen(カイ・ボイスン)

72年の生涯を送ったカイ・ボイスンがモンキーを生み出したのは65歳の1951年。この年は、ミラノの国際展覧会で彼のステンレスカトラリーがグランプリを受賞した年でもあります。 デンマークを代表する名デザイン(一方は木、もう一方はステンレス)が同時期に世に出たというのは面白いですよね。 彼は、ジョージ ジェンセンでの修行と独仏での専門教育を経て、27歳で銀細工師として自身の工房を開きます。初めは当然銀製品ですが、扱った素材はその他に、錫、ステンレス、様々な木材、ボーセリン、ガラス、ラタン、 竹など多種多様。アイテムも、ジュエリー、食器、玩具、オブジェ、家具など多岐に渡り、生涯で2000点以上のデザインをしたと言われています。カイ・ボイスンとは、一体どういう人物だったのでしょうか。彼の人生を少し紐解いてみましょう。

越境する人、
カイ・ボイスン

銀細工修行の前に遡ると、もっと若い頃に親元を離れて郊外の食料品店でも見習いの経験があります。大学進学者がまだ少なかったとはいえ、裕福でアカデミックなボイスン家では、 家計のために仕方なく働きに出た訳ではありません。父はノーベル文学賞作家も手掛ける出版業界エリート、母はアーティスト、上の兄は医者、妹は建築家と結婚しています。 この食料品店での修業時代に、会計知識、ディスプレイ、接客など、商売人としてのセンスを身につけたようです。自身の工房がすぐ軌道に乗ったのも、こういった経験が生かされたのでしょう。

工房の運営についても興味深い点が多くあります。アール・ヌーボースタイルで一世を風靡したジョージ ジェンセンでの修行を望んだことからもトレンドに敏感だったことが窺えますが、その後そのスタイルが流行らなくなると彼独自のシンプルなデザインへと変化していきます。世界的な恐慌で人々が銀製品を買えなくなると素材を木に変えて価格を抑えたり、戦後にステンレスが普及し始めるとすぐに取り入れたり。 また、息子の誕生を機に木製を始めたり、アフリカ滞在の経験からゾウやゼブラなどエキゾチックな動物をモチーフにしたり…。(余談ですが、デンマークでは動物園にしかいないモンキーが、今やデンマークのアイコンになっているのは面白いですよね。) 一方、デンマークデザインの普及にも尽力し、国内外へ広めるためにはコミュニティが重要という信念から、職人自身が作品を発表・販売をする場としての「Den Permanete(英訳 The Permanent)」の設立・運営に積極的に携わりました。

私生活では、お酒は弱かったものの大変な社交家だったようで、30年代に移り住んだ親友アルネ・ヤコブセンが設計した集合住宅では、毎週家族や友人が集まるサロンを開いていました。 同時代を牽引するクリエイターたちと刺激を与え合ったり、子ども家具の開発などでは小児科医や教育関係者と意見交換をしたり。職業や立場に拘らずオープンマインドな人付き合いをしていたようです。

これまで見てきたように、彼の最大の特長は「越境する人」であったこと。固定概念に捉われず、常に挑戦する心や先見性を持っていたことで、「素材」や「様式」のみならず、 「職業スタイル(職人/商売人/起業家)」や「目線(子ども/大人)」といった境界を自由に飛び越えてしまう人だったのです。現代では、ボーダーレスやダイバーシティといった言葉が注目されていますが、 その時代において枠を超えて自由に行き来するのは簡単ではなかったはず。だからこそ、「国境」や「世代」、そして、「時代」を超えて愛されるデザインが生まれたのです。 ※参考文献『KAY BOJESEN -The Joy in Danish Design』(TRAPHOLT、2018年)

家族へのインタビュー

kay bojesen(カイ・ボイスン)

ご家族からみて、カイ・ボイスンはどんな存在でしたか?

カイは、どこか「子供っぽい」人で、冗談やナンセンスなことが大好きでユーモアにあふれていましたよ。とても親切でもてなし上手、だから家族で友人たちに囲まれていることが大好きだったようです。 その一方で、少し気難しいところもあったりして、新しい作品を描くときには、落ち着いた静寂さを求めることが多かったようです。もちろん息子のオットーとその小さな家族たちはとても幸せな暮らしをしていましたよ。

カイ・ボイスンの妻であるエルナは、彼のすべてをサポートしていたのですが、おそらくそれは簡単なことではなかったと想像がつきます。 というのも、彼はすべてアイデアを常に紙に書き出しているような、ワーカーホリックだったからです。カイはとてもクリエイティブで完璧主義者ででもありました・指先の動きまですべてが完璧でなければなりませんでした。 彼のクリエイティビティに対しての姿勢を表す「喜びは健康を作る」「優れたデザインは誰もが享受できるものだ」という言葉がとても印象的です。

kay bojesen(カイ・ボイスン)- monkey

ご家族にとって「モンキー」はどんな存在ですか?

モンキーは、私たちにとっても、家族にとっても、常にお気に入りの存在ですね。家の中でぶら下がっていたか座ったりしていたかは、もはやよく覚えていませんが、 分からないながらも、幼少期の記憶の中で存在を意識した最初のものの一つだったのだとうと思います。 モンキーの笑顔と穏やかなまなざしは、見ていてとても気持ちが良いものでした。というのも、それは言うまでもなく、美しいデザインのオブジェだったからでしょうね。 カイ・ボイスンのデザインの中で、モンキーは一番好きと言っても良いと思います。けれど、犬も象も大好きです。どれも素晴らしい微笑みとキュートな表情を持っているからです。 どんな家にも、どんな場面にも合うんですよ。

カイボイスンが生み出した作品

カイボイスンが生み出した作品

WOODEN ANIMALS
FIGURINES
FOR KIDS
MENAGERI

1930年代から”木の魅力”に目覚めたカイ・ボイスンは、木製オブジェの製作を開始しました。「動物のデザイン上の線(line)は笑み(smile)にならなければならない」 「木製の動物は本物の真似であってはならない」などの信条のもと、様々な動物たちやフィギュアを、「遊びながら学ぶ」ことに着想を得た子ども向けラインナップ、 さらには機能的で美しい木製のテーブルウェアなど多岐にわたるジャンルの製品を制作しています。

kay bojesen(カイ・ボイスン)- monkey

Monkey

1951年、カイ・ボイスンが初めて「モンキー」を発表した当初は、回転する長い腕や脚に子ども部屋用のコートや服をかけるフックとして機能性をもたせて作られたものでした。 この「モンキー」はカイ・ボイスンがデザイン哲学を凝縮した作品のひとつでもあります。感情とユーモアがあり、形は丸くて柔らかく、シンプルでしっかりしています。 そして何よりも、想像力と遊び心をかき立てるのです。私たちの内なる子ども心に語りかけてくるのですが、非常に高品質で、細部に至るまで並々ならぬ注意を払って作られたスタイリッシュさや、 グラフィックなデザインのおかげで、子どもっぽくなりすぎることなく、インテリアにユーモアと個性を加えてくれます。 「モンキー」に使用されている木材は、ほぼすべてFSC®認証材です。

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